本記事は、理学療法士として急性期病院の最前線でキャリアをスタートさせた「僕」が、日々の業務に追われる中で感じた葛藤と、一人の患者さんとの出会いをきっかけに、「もっと患者さん一人ひとりに深く寄り添いたい」という思いを強くし、クリニックへの転職を決意。そこで見つけた「寄り添うリハビリ」の喜びと、転職を通じて得た学び、そしてこれからの展望を綴った創作体験談です。急性期とクリニック、それぞれの現場でのリアルな体験と、転職活動における情報整理の工夫(表計算ソフトの活用など)も交えながら、同じようにキャリアに悩む理学療法士の方々へ、そして「寄り添うケア」の価値を信じるすべての人へ、ささやかなエールを送ります。
本記事では、個人や施設の特定を避けるために創作を交えています。
はじめに – 僕が理学療法士として歩んできた道
「ケンジ先生、次、〇〇さんの術後リハ、お願い!」 ナースステーションから飛んでくる声に、「はい!」と短く応え、僕はカルテを手に病室へと急ぐ。これが、僕、佐藤健司(さとうけんじ)、理学療法士としての日常だった。大学を卒業し、夢と希望を胸に飛び込んだのは、地域でも有数の総合病院、その急性期病棟。そこは、まさに医療の最前線だった。
スピードが求められる急性期病院での日々
急性期病院とは、病気やケガの発症直後や手術後など、命に関わるような危険な状態、あるいは症状が急激に変化する時期の患者さんを専門に治療する病院です。僕たち理学療法士(PT)の役割は、医師の指示のもと、患者さんができる限り早く安全に体を動かせるように、そして合併症を防ぎながら、早期の自宅復帰や次のステップ(回復期リハビリ病院など)へ進めるようにサポートすることでした。
ICU(集中治療室)での呼吸リハビリから、術後翌日の患者さんの初めての離床介助、骨折した方の松葉杖指導まで、業務は多岐にわたります。1日に15人以上の患者さんを担当することも珍しくなく、まさに時間との勝負。医師や看護師、他のコメディカルスタッフとの密な連携が不可欠で、チーム医療の一員として機能回復に貢献できることには、大きなやりがいを感じていました。昨日まで起き上がれなかった患者さんが、自分の足で数歩でも歩けた瞬間の感動は、今でも鮮明に覚えています。それが僕の原動力でした。
胸に秘めた「もっと深く関わりたい」という想い
充実感と同時に、3年目を過ぎたあたりから、僕の心の中には少しずつ別の感情が芽生え始めていました。それは、「本当にこれで良いのだろうか?」という疑問です。急性期では、限られた入院期間の中で、まず「生命の維持」と「早期離床」が最優先されます。もちろんそれは当然のこと。しかし、退院基準を満たし、次の場所へ移っていく患者さんの背中を見送りながら、「あの人の退院後の生活は大丈夫だろうか」「もっとじっくり話を聞いて、その人らしい目標設定ができたんじゃないか」と思うことが増えていったのです。
カルテには、病名や検査データ、リハビリの進捗は詳細に記録されますが、その方の趣味や家族構成、大切にしている価値観までは書ききれません。ADLの自立度は向上しても、その方のQOLまで本当に高められたのか、自問自答する日々でした。もっと一人ひとりの人生に深く関わり、その人らしい生活を取り戻すためのリハビリがしたい。そんな想いが、日に日に強くなっていきました。
転職という大きな決断 – きっかけと行動

漠然とした想いを抱えながらも、日々の忙しさに流されていた僕の背中を強く押す出来事がありました。それは、ある一人の患者さんとの出会いです。
忘れられない患者さんとの出会い – 心を動かされた瞬間
その方は、田中さんとおっしゃる70代後半の女性でした。大腿骨骨折で手術を受け、術後のリハビリを担当することになりました。田中さんは元々、地域のコーラスグループで活動し、絵手紙を描くのが趣味の、とても活発な方でした。リハビリには真面目に取り組まれ、歩行状態も順調に回復していきました。しかし、退院が近づくにつれ、田中さんの表情は曇りがちになっていったのです。
ある日、リハビリ室の片隅で、田中さんがポツリと呟きました。「先生、家に帰っても、また転ぶんじゃないか、迷惑かけるんじゃないかって思うと、怖くてねぇ。もうコーラスも、絵手紙も、無理かもしれんねぇ…」。その言葉に、僕はハッとしました。身体機能は確かに回復している。でも、田中さんの心は、未来への希望を失いかけていたのです。限られたリハビリ時間の中で、僕は田中さんの不安を十分に拭うことも、趣味を再開するための具体的なアプローチを深く考えることもできませんでした。退院の日、田中さんは深々と頭を下げてくださいましたが、僕の心には、無力感と後悔が重くのしかかりました。「もっと寄り添えたはずだ」。この経験が、僕に転職を決意させた決定的な瞬間でした。
新しい道を求めて – 情報収集と自己分析の日々
田中さんの言葉を胸に、僕は本格的に転職活動を開始しました。まずは自己分析です。「自分は何をしたいのか?」「どんなリハビリを提供したいのか?」「どんな環境ならそれが実現できるのか?」。答えは明確でした。「一人ひとりの患者さんとじっくり向き合い、その人らしい生活の実現をサポートしたい」。
次に情報収集です。理学療法士向けの転職サイトを複数チェックし、クリニック、回復期病院、訪問リハビリなど、様々な選択肢を比較検討しました。特に興味を持ったのは、地域密着型のクリニックでした。
この情報収集の過程で、僕は表計算ソフト(Microsoft ExcelやGoogleスプレッドシートなど)を大いに活用しました。これは、いわば自分だけの「求人比較データベース」を作るようなものです。具体的には、以下のような項目でシートを作成し、気になる求人情報を入力・整理していきました。
- 施設名
- 施設形態(クリニック、病院、訪問など)
- 理念・特徴
- 主な対象疾患
- 1日のリハビリ担当人数(想定)
- 1人あたりのリハビリ時間
- 給与・待遇(賞与、昇給、福利厚生など)
- 勤務時間・休日
- 教育体制・研修制度の有無
- 見学時の印象・メモ
- 自分の希望との合致度(◎、〇、△などで評価)
このように情報を一覧化することで、各施設の特徴が明確になり、客観的な比較が容易になりました。また、「自分の希望との合致度」を設けることで、感情だけでなく論理的にも優先順位をつけることができました。コードを書くような専門的な知識は不要ですが、こうしたツールを使って情報を整理・分析するスキルは、転職活動において非常に役立ちました。
クリニックで見つけた「寄り添うリハビリ」という光
数ヶ月の転職活動を経て、僕は「患者さん一人ひとりの生活に寄り添う」という理念を掲げる、地域密着型の整形外科クリニックにご縁をいただきました。そこでの働き方は、急性期病院とは全く異なり、まさに僕が求めていた環境でした。
一人ひとりの人生に触れる – クリニックでのリハビリの実際
クリニックでのリハビリは、基本的に完全予約制で、一人あたり40分から60分という十分な時間が確保されています。急性期病院では20分単位で次から次へと患者さんを診ていた頃とは大違いです。この時間を使い、僕はまず患者さんの「声」に耳を傾けることを何よりも大切にしています。
痛みや痺れといった身体的な症状はもちろんのこと、日常生活でどんなことに困っているのか、どんな不安を抱えているのか、これからどんな生活を送りたいのか、趣味は何か、家族構成はどうか…。時には、リハビリ時間の半分近くを対話に費やすこともあります。例えば、膝の痛みを訴える高齢の女性が、実は「孫の運動会で一緒に走りたい」という強い願いを持っていることを知ったり、肩の痛みに悩む男性が、「もう一度、趣味の釣りで大きな魚を釣り上げたい」という夢を語ってくれたりします。
こうした対話を通じて得られる情報は、単なる医学的なデータよりも遥かに豊かで、その人だけのオーダーメイドのリハビリ計画を立てる上で不可欠です。目標を共有し、一緒にそこへ向かって歩んでいく。身体機能の回復はもちろん重要ですが、それ以上に、患者さんが笑顔を取り戻し、その人らしいQOLを再び手に入れられるようサポートすることに、僕は「寄り添うリハビリ」の神髄を感じています。
温かいチーム医療と、深まる専門性
僕が働くクリニックは、院長先生(整形外科医)、看護師さん、受付の医療事務さん、そして僕たち理学療法士数名という、比較的小さな組織です。しかし、その分、スタッフ間の風通しは抜群に良く、まさに顔の見える温かいチーム医療が実践されています。
例えば、診察を終えた院長先生から「ケンジ先生、さっきの〇〇さん、リハビリでこういう点も気にかけてあげてくれるかな?」と直接声をかけていただいたり、リハビリ中に患者さんから伺った些細な体調の変化や心理的な不安を、すぐに看護師さんや院長先生に情報共有したりと、常に連携は密です。
また、クリニックでは、患者さんへの説明や進捗の共有に、図や簡単なグラフを積極的に用いています。例えば、痛みの変化を記録するVASという0から10までの数字で痛みの程度を示してもらう評価方法があるのですが、その変化を折れ線グラフにしてお見せすると、患者さん自身も「ああ、こんなに良くなっているんだ」と治療効果を実感しやすく、モチベーション向上にも繋がります。特別なソフトやプログラミングは不要で、ホワイトボードに手書きしたり、簡単な作図ツールで作成したりする程度ですが、視覚的な情報は非常に有効です。
定期的な院内勉強会はもちろん、外部の研修会への参加も奨励されており、慢性的な痛みに対するアプローチや、特定のスポーツ障害に関する専門知識など、自分の興味のある分野を深く追求できる環境も、大きな魅力だと感じています。
転職して見えた景色 – メリットと、正直なところデメリットも



急性期病院からクリニックへの転職は、僕の理学療法士としてのキャリアにおいて、大きなターニングポイントとなりました。そこには多くの発見と喜びがありましたが、もちろん、全てが理想通りというわけではありません。
「ありがとう」の言葉が沁みる – じっくり関わる喜びと成長
最大のメリットは、やはり、患者さん一人ひとりと深く、そして長く関われるようになったことです。リハビリを通じて、その方の人生の一部に触れ、共に目標に向かって歩み、そして目標を達成した時の喜びを分かち合える。退院したら関係が終わってしまうことの多かった急性期とは違い、クリニックでは「先生のおかげで、旅行に行けるようになったよ」「痛みがなくなって、毎日が楽しいです」といった感謝の言葉を、時間をかけて聞くことができます。その一つ一つの言葉が、僕の心に深く沁みわたり、日々の活力になっています。
また、特定の疾患や症状に対して、より専門的に深く学ぶ時間が取れるようになったことも大きな成長に繋がっています。急性期では広く浅く知識が求められましたが、今は「この痛みには、このアプローチが有効かもしれない」「あの患者さんの生活背景を考えると、こんな自主トレーニングが提案できる」と、より深く思考し、実践する機会が増えました。
失ったものと、新たに向き合う課題
一方で、デメリットと感じる点も正直あります。まず、急性期医療のダイナミズムや、最先端の医療技術に触れる機会は格段に減りました。重症患者さんの全身管理や、刻一刻と変化する病態への対応といったスキルは、意識して研鑽を続けないと鈍ってしまう可能性があります。あの独特の緊張感やスピード感が恋しくなる瞬間も、ないわけではありません。
また、給与や福利厚生の面では、やはり規模の大きな病院に比べると見劣りする部分があるかもしれません。僕の場合は、それを上回る「やりがい」を優先しましたが、転職を考える上で、生活設計とのバランスは重要な検討事項の一つでしょう。そして、クリニックでは理学療法士の人数が少ないため、一人ひとりの責任がより重くなるという側面もあります。これはプレッシャーであると同時に、成長の機会でもあると捉えています。
未来の自分へ、そして転職を考える仲間たちへ



もし、あなたが今、僕と同じようにキャリアについて悩んでいたり、新しい一歩を踏み出すことを考えていたりするなら、伝えたいことがあります。
あなたが本当に大切にしたいものは何か?
転職は、人生における大きな決断の一つです。だからこそ、まずは自分自身の心に正直に問いかけてみてください。「自分はどんな理学療法士になりたいのか?」「どんな時に喜びを感じるのか?」「仕事を通じて、何を成し遂げたいのか?」。給与や待遇、勤務地といった条件も大切ですが、それ以上に「自分が何を大切にしたいのか」という軸をしっかりと持つことが、後悔のない選択をするための最も重要な羅針盤になります。
僕にとっては、それが「一人ひとりの患者さんに深く寄り添うこと」でした。その軸があったからこそ、迷った時も進むべき道を見失わずに済みました。自己分析を深め、情報を多角的に集め、そして勇気を持って一歩を踏み出してください。
「寄り添う」ことの価値は無限大
理学療法士の働く場所は、病院だけではありません。クリニック、介護施設、訪問リハビリ、スポーツチーム、教育機関、さらには起業という道も。それぞれの場所で、それぞれの形で、理学療法士としての専門性を活かし、人々の役に立つことができます。
僕が見つけた「寄り添うリハビリ」は、クリニックという場所で花開きましたが、この「寄り添う」という心は、どんな場所でも、どんな仕事をする上でも、普遍的な価値を持つと信じています。患者さんの身体だけでなく、その方の心や人生に寄り添うこと。それは、AIやテクノロジーがどれだけ進化しても、人間にしかできない、かけがえのない仕事です。その価値を信じ、自分らしい「寄り添う形」を見つけていってください。
おわりに – 新たなスタートラインに立って
急性期病院での3年間は、僕にとって理学療法士としての礎を築いてくれた、かけがえのない時間でした。そして、クリニックへの転職は、その礎の上に、新しい可能性という名の芽を育む機会を与えてくれました。まだまだ道半ばですが、「寄り添うリハビリ」を追求する毎日は、確かな手応えと喜びに満ちています。
この体験談が、同じように悩み、新しい道を模索している理学療法士の仲間たち、そして「寄り添うケア」とは何かを考える全ての方々にとって、何かしらのヒントや勇気を与えることができたなら、これ以上の喜びはありません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 僕、佐藤健司の「寄り添うリハビリ」を巡る旅は、まだ始まったばかりです。